2011年01月12日
三丘城山と歴史探訪 3
県道142号は旧山陽道にあたっており、ここからは歴史探訪篇の始まりです。
現在では北にある国道2号線が主要道で、この道はたまに車が通る程度の道になっています。
しかし、そのおかげもあってか色々と歴史を感じさせるものが残っているようです。
まず山から降りて気が付くのは古い道標。

「從是西熊毛郡 從是東玖珂郡」と刻まれています。
ウィキペディア「周防国」によると「(周防国は)大島郡、熊毛郡、都濃郡、佐波郡、吉敷郡の五郡からなったが、養老5年(721年)に熊毛郡から玖珂郡が分けられ、六郡となった。」とのことです。
この道標もかなり古そうですので、何百年かの間街道を往来する人たちを見送ってきたのでしょう。
むうぅ、山から降りていきなり往時の世界に浸ってしまった。
お次はここから北東方向に進んだところにある「御駕籠建場」。

このあたりは峠(中山峠というらしい)になっているので、雰囲気的に一休みしたくなる場所のようです。
今は何も残っていませんが、往時は茶店などもあったのでしょうか。
その後も道を北東に進むにつれ、時代を感じさせるものを見ることができます。

賽神社

観音様(四体のうち左側二体)

観音様(四体のうち右側二体)

「天保六?年」と刻まれている。
観音様から少し進むと県道144号と合流して山陽道は続いていきますが、合流点の手前から南方向に進む小道に曲がります。

この道が「淡海道」です。
ググっていただけば詳しいことはわかると思いますが、天保年間の昔、島田川の氾濫のたびに通行不能となった道の代わりに新しい道を淡海和尚が中心となって切り拓いたということらしいです。
さて淡海道ですが、舗装路はすぐに終わって地道になり、森の中へと続いていきます。

この道は左手に島田川を見ながら行く、気持ちの良い林間道でした。
今の季節だと蚊も居ないし、蛇も出ないので安心です。
森に入ってしばらく行くと、右手に「淡海和尚碑」があります。

そこから先もところどころに色々な表情の石仏があり、飽きさせません。


島田川
やがて高速道路真下で舗装路に出会います。

これで淡海道はお終いかと思わせますが、やや先に下に降りる階段があり、淡海道が続いています。
その先500mくらい先が淡海道の終点です。
しかし、これで終わらないのが今回のルートの良いところ。
淡海道終点付近に毛利氏ゆかりの史跡があるのです。
まず毛利元就の七男元政(三丘領主)が身につけていた元就の歯を祀ったと言われる毛利元就公歯廟(左は元就の側室で元政の生母乃美の方の宝篋印塔)。

毛利元就公歯廟の近くには、元政の後に三丘領主となった宍戸家の墓所や

宍戸家の家老末兼家の墓所があります。

さらにその先には毛利元政宝篋印塔・宍戸元続夫人(織田信長の娘という説があるらしい)の墓があります。

いやあ、この狭い区域に史跡がてんこ盛りとなっています。
さて、これらの史跡巡りが終わると、とうとう長い三丘城山と歴史探訪のルートも終わりです。
10分ほどで駐車場所に戻ってきます。
休憩等も含めトータル4時間10分でした。
しかし、この時間の間に色々な要素が盛り込まれており、かなり充実した時間が過ごせました。
帰りに三丘温泉からさらに南下した所に車を停めて、城山方面を見返しました。

双眼鏡で見ると夫婦岩もしっかり見えました。

(この稿完)
現在では北にある国道2号線が主要道で、この道はたまに車が通る程度の道になっています。
しかし、そのおかげもあってか色々と歴史を感じさせるものが残っているようです。
まず山から降りて気が付くのは古い道標。
「從是西熊毛郡 從是東玖珂郡」と刻まれています。
ウィキペディア「周防国」によると「(周防国は)大島郡、熊毛郡、都濃郡、佐波郡、吉敷郡の五郡からなったが、養老5年(721年)に熊毛郡から玖珂郡が分けられ、六郡となった。」とのことです。
この道標もかなり古そうですので、何百年かの間街道を往来する人たちを見送ってきたのでしょう。
むうぅ、山から降りていきなり往時の世界に浸ってしまった。
お次はここから北東方向に進んだところにある「御駕籠建場」。
このあたりは峠(中山峠というらしい)になっているので、雰囲気的に一休みしたくなる場所のようです。
今は何も残っていませんが、往時は茶店などもあったのでしょうか。
その後も道を北東に進むにつれ、時代を感じさせるものを見ることができます。
賽神社
観音様(四体のうち左側二体)
観音様(四体のうち右側二体)
「天保六?年」と刻まれている。
観音様から少し進むと県道144号と合流して山陽道は続いていきますが、合流点の手前から南方向に進む小道に曲がります。
この道が「淡海道」です。
ググっていただけば詳しいことはわかると思いますが、天保年間の昔、島田川の氾濫のたびに通行不能となった道の代わりに新しい道を淡海和尚が中心となって切り拓いたということらしいです。
さて淡海道ですが、舗装路はすぐに終わって地道になり、森の中へと続いていきます。
この道は左手に島田川を見ながら行く、気持ちの良い林間道でした。
今の季節だと蚊も居ないし、蛇も出ないので安心です。
森に入ってしばらく行くと、右手に「淡海和尚碑」があります。
そこから先もところどころに色々な表情の石仏があり、飽きさせません。
島田川
やがて高速道路真下で舗装路に出会います。
これで淡海道はお終いかと思わせますが、やや先に下に降りる階段があり、淡海道が続いています。
その先500mくらい先が淡海道の終点です。
しかし、これで終わらないのが今回のルートの良いところ。
淡海道終点付近に毛利氏ゆかりの史跡があるのです。
まず毛利元就の七男元政(三丘領主)が身につけていた元就の歯を祀ったと言われる毛利元就公歯廟(左は元就の側室で元政の生母乃美の方の宝篋印塔)。
毛利元就公歯廟の近くには、元政の後に三丘領主となった宍戸家の墓所や
宍戸家の家老末兼家の墓所があります。
さらにその先には毛利元政宝篋印塔・宍戸元続夫人(織田信長の娘という説があるらしい)の墓があります。
いやあ、この狭い区域に史跡がてんこ盛りとなっています。
さて、これらの史跡巡りが終わると、とうとう長い三丘城山と歴史探訪のルートも終わりです。
10分ほどで駐車場所に戻ってきます。
休憩等も含めトータル4時間10分でした。
しかし、この時間の間に色々な要素が盛り込まれており、かなり充実した時間が過ごせました。
帰りに三丘温泉からさらに南下した所に車を停めて、城山方面を見返しました。

双眼鏡で見ると夫婦岩もしっかり見えました。

(この稿完)
Posted by あいあん at 21:38│Comments(0)
│山登り